何事にも時がある。子どもたちにそれぞれの季節があり、それが混じり合って今がある。
これまでの塾の歩みを通していろんな良いことがあり、出会いがあり、気づきがあった。
その歩みを振り返り、少しづつ書き落としていく必要がある。
① 確かなシステム(技術・フィールド)と、生きた個人(心・愛)の両方が必要
困っている人を前に動き始めた私たちは、勿論沢山の障害にぶつかることになる。孤独な人に出会うためには、人の通らない寂しい道を通らなくてはならないことがある。わたし一人ではどうにもならず、教えてほしいこと・手伝ってほしいことが沢山ある。私たちは年を重ねるごとに重くなっていく体であるが、その温もりある自分の席から立ち上がり、新しい若い人たちと共に手を取り合って歩みを進めていかなくてはならない。それはすべて、ひとりの子どものためにであったりする。「効率と便利さ」が目的となってしまいシステムやネットワーク作りがされてきた。そして、それらシステムを守るために目の前の困っている人を見捨て、働き続ける大人たちがある。わたしたちは時に立ち止まって自然を眺め、本当の価値について思いをめぐされる必要があるのではないだろうか。目の明るい・心ある、そして、勇気ある生きた大人たちがなければ、子どもたちに託す将来は心貧しいものとなってしまう。
② 地域課題と地域の恵
それぞれの地域独自の課題がある。茨城県の北部内陸側だからこその課題と恵がある。南部(つくば・土浦を中心とした地域)や沿岸部(日立・東海・ひたちなか)と比べて、情報・文化・教育‥どうしても一歩遅れる。そこに良さがある一方で不便さがある。海外バックグラウンドのヤングケアラーが孤立している。不登校児の支援や世界に飛び出したいインターナショナル希望の子ども達の選択肢は極めて少ない。公立・私立含め、中学・高校の受験に対する価値観は変わらない。一方で、子どもに関心深い温かい方々も多く、つながり(社会環境)やフィールド(自然環境)も豊かに保つことができる。東京やつくばになる必要はない。一方で、それぞれの地域のリーダーが役割を認識し、世界へ飛び出せる学びの基盤を大切に築いていく必要がある。そのためには、素晴らしい「ふるさと」を描いていくのが良い。また、手の届く距離に「最先端(中心都市)」が機能しているのが良い。その中で、子どもたちは自分の将来を描くことができるかもしれない。
③ 保育と教育の見直し
食事を共にする大切さを思う。体を動かせる恵を思う。信じてくれる大人、関心を持って話を聞いてくれる大人が、いないのかもしれない。叱ってくれて、本気で向き合ってくれる大人がいないのかもしれない。甘えて、クレイジーな自分を見せられる大人がいないのかもしれない。学びは人の話を聞くことであり、自分の心との対話でもあると思う。自然な、そして時に強烈な自己肯定と自己否定を繰り返すことにより、「技術や知識」は成長し、強い「心の張り」も生まれる。大人にはその旅路を共にいく恵と喜びがある。私たち大人は、命の使い方を考えなくてはならない。世に蔓延する「恐れや高慢さ」に支配されてはならない。つまらないことに「消費」されてはならない。